2017年03月11日

東日本大震災から6年経って

東日本大震災から6年ですね。

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3月11日になると、1週間ほど前からメディア等でもこぞって震災の話題をとりあげ、テレビを見るのが正直とても嫌になります。多くの取材に「前を向いて頑張っていきます」と答える被災地の人たちを、テレビの向こう側の人たちは、どんな気持ちで受け止めて下さっているのでしょう。

まず、放送される番組のほとんどはテレビ局側の意図によって編集され、必ずしも正しい情報とは言い難い内容になっていて、困惑する現地の人々がいます。どう映れば良いか、どうコメントすれば良いのか、あらかじめ決まっていたりして驚きます。

だからこそ、もし可能であれば現地に足を運んでいただき、現状や本当の声を聞いて、防災を学んで欲しいと思うのです。三陸は海の幸が豊富です。ちなみに、ここ大船渡は東北の「住みたい町ランキング」でベスト5入りするほど人気の町。普通に観光にいらして、美味しいものをたくさん食べていただいて、地元の人たちと観光客の方々が自然にコミュニケーション出来るのがベストだと思っています。

もしボランティアをするなら、覚悟をもって足を運んでほしいのです。必要性があれば素晴らしいことだと思うのですが、タイミングによっては単なる押売りとなってしまうため、被災地のことをイベント化して欲しくはありません。(※語弊がないように申し上げると、一部にはそういう方々もいらっしゃいました)

あれほどの恐怖と悲しみを経験した私たちは、いつまで経っても、忘れたくても忘れることができないのです。笑顔を見せるのは、悲惨だったあの頃を忘れたいから笑うしかないのです。「風化させて欲しくない」「忘れないで欲しい」この言葉をよく耳にするかと思いますが、これは決して「つらい経験をした被災地を忘れないで欲しい」という意味ではありません。

災害の恐ろしさを絶対に忘れないで欲しいこの思い以外にありません。

災害は場所を選ばず、ある日突然、誰の身にでも起こり得ることなのです。備えておくということは「食物や水などを備えておく」という意味とは全く別だと思っておいてください。それよりももっと大事なのは「心の備え」です。

備蓄しておいた物など二の次です。いつどこにいても、何か起きたら、まずは身を守ること。考えて行動することです。阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災だけではなく、これからも必ずどこかで災害が起こるでしょう。その時どうすべきかを、大切な人と共に話して欲しいのです。

人から人へ、親から子、子から孫へと語り継ぐことに意味があると思います。

大船渡市にある「大船渡津波伝承館」の施設館長さんが、ある日、遠方からいらした若者にこう質問されたそうです。「震災の後に全てのライフラインが途絶えました。もし、そうなったらどうしますか?」すると、その若者は「生きていけません」と答えたそうです。

当然ですよね。そんなこと体験したことなければ、そんな風に答えるのも無理もないでしょう。きっと私たちだって、震災を経験していなければ同じように答えたかもしれません。でも、実際に自分の身に起きたらを本当に想定して考えたことがありますか?

大船渡市は大地震のあとの大津波の被害が甚大でしたから、当然ながら何もかもが流されてしまったわけです。備蓄しておいた食物も水もありません。その時、あまりの出来事に呆然とし、もうほとんどパニック状態でした。ただ、次の瞬間考えたことは「寒さを凌ぐこと」。3月11日の夜は本当に本当に寒かった…。

避難所の体育館は、信じられないほどの避難住民であふれ、私たちがいられるスペースは、ありませんでした。その時はみんな必死だったので、譲り合いなんて気持ちの余裕もなかったかもしれません。ほんのわずかなスペースを確保し、身を寄せ合い、炊き出しの小さな塩おにぎりを1つずつもらいました。小さな小さなおにぎりだったので、夫にあげると言ったら「次にいつ食べれるかわからないから食べておけ」と叱られ、あらためてことに甚大さを感じました。

これからしばらく、生活が困難になることはある程度予想できたのでしょう。というのも、私は自宅から津波を逃れて避難所に飛び込みましたが、夫と私の妹は、職場で被災し、町全体が大津波に襲われていくのを見ながら難を逃れたのです。お互い連絡が取れなくても、2人は私が避難している場所を知っていました。(※津波が多い地区なので、震災前にも避難したことがありました)

私たち3人が避難所で合流できたのは、おそらく夜19時〜20時頃だったのではと記憶しています。夫と妹の職場は、津波が来たら絶対に危ない場所でした。無事に合流できるまでの間、本当に本当に怖くて怖くてたまりませんでした。いままでも津波警報などで避難経験はあったものの、避難するとき、これまでのように「次の日には避難解除で帰れる」といった感覚があり、しっかりと着込んだ状態でなく避難所に向かったため、ほぼ部屋着のまま。

浸水をのがれた自宅の2階から、夫はその日の夜に必要最低限の防寒グッズをかき集めてこようと言い出し(※絶対にしてはいけないことです!!運よく流されませんでしたが、第2波や第3波で流される人はこのパターンです)妹を避難所に残したまま、二人で被災した自宅に戻り、懐中電灯で辺りを見てみたら…、そこは言葉では言いようのない、まさに地獄絵図でした。

大津波や、打ち寄せられた建物の下で、ご近所の多くの方々が亡くなられました。避難所でも残されたご家族の方々のすすり泣きが聞こえ、本当に痛ましかったです。隣の奥さんに「お父さんが見つからないの」と言われたときも、正直あの状況下で無事でいられるのは厳しいだろうと思いつつ、慰みの言葉しかありませんでした。

私たちは幸いにも、1組の布団と寝袋を持ち出すことができました。被災したその日の夜から、避難所での生活が始まりました。ここから先は、ほぼサバイバル生活。どうやって生きていくかを考え行動する毎日が続きます。悲観している暇なんてありませんでした。

中学生や高校生の活躍が素晴らしかったのを覚えています。大人はムダな経験があるが故に、ムダな不安感に苛まれますが、純粋な若者たちにはまっすぐとした気持ちがそのまま行動にあらわれるようですね。それは被災した翌日でした。スナック菓子やキャンディーやガムなどが入ったごみ袋をかかえて、「お菓子はいりませんか?ガムはいりませんか?」と、避難所にいる大人たちに声をかけてきたのです。

瓦礫のなか、みんなで必死になって食べられそうなものを探してきたのでしょう。大人でさえ怯むほど悲惨な状況のなか、あの瓦礫のなかを色々探し回ったようです。これ、炊き出しができないようであれば、おそらくみな同じことをするでしょう。

私の世代は、津波地域とは言え、被災未経験者の世代です。でも、祖父母からその恐ろしさは聞いていました。そして、明治生まれの祖父と大正生まれの祖母が、なぜ枕元にすぐ服が着られるように置いてあるのかも聞いていました。(震災後しばらくはすぐ逃げられるよう服を着たまま寝ていましたので、とても理解できます)さらに言うと、戦後の食糧難のことも何度も聞かされ、今の言葉でいう「シェアする」ことの必要性と重要性も知っていました。

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いざ何か起きたときに、どうすべきか考え行動することは、その時になってみないとわかりません。でも、その考え方を伝えることはできるはず。「心の備え」は本当に大事なんだと、東日本大震災を通して改めて学びました。

今日、3月11日は東日本大震災から6年です。各メディアの方々が、災害があったことを特集を組んで放送してくださるのは有難いのですが、これをイベント化させない報道の在り方であって欲しいと心から願います。そして、3月11日に限らず、これから起こり得るかもしれない災害について、人から人へ、親から子、子から孫へと語り継ぐような日常であって欲しいと願います。

一番大切なのは「命」です。


というわけで、ついつい長文になってしまいました。

ブログを更新せず、ずいぶん経ちました。

個人的にもいろいろと思うところがあり、なんとか自分一人で解決しようと頑張り続け数年。悩み、考え、苦しみ、自分ではどうにも解決できず…、いろんな人の知恵を借りるのがベストだということに気が付き、変な話、この年になって改めて「甘える」という人生経験を積んでいるところです。

花を通じて、たくさんの人に癒しの場を提供したい。大船渡を花の町にしたい。そんなおこがましい考えの私は、そもそも自分自身が癒されたかったのかもしれません。おもえば、子供の頃からいろんなことがあり、誰も信用できなくなっていました。考えてみれば、「この世は無情」なのですから仕方ありません。

頼ろうにも助けてもらえず、せめて妹だけは守ろうと必死に生きてきた人生でした。ただ、それにしても意固地にもほどがある生き方なので、見る人から見れば、可愛げのない人間に見えて当たり前。そして結局、自分自身も疲労困憊になり自滅…自己嫌悪のスパイラル状態です。

1年ほど前から思うのです。家族のために頑張ってるつもりが、家族の迷惑になっているのでは…と。これまでの自分と大きく違うのは、「家族の迷惑になっているのでは…」と心に仕舞い込んで終わりではなく「迷惑かけてる?」と直接聞けるようになったこと。

家族にしてみたら、思いがけない質問をされるので当然ながら???となるのですが、それだって口にしてもらわないと伝わらないので、意味がありません。でも、おそらく私の変化に気が付いてくれたのかもしれません。ちゃんと言葉にして答えてくれるようになりました。この、ほんの少しのやり取りの繰り返しは、家じゅうの空気を変化させたと思います。自分自身、たくさん笑うようになったと思うし、家族の会話も増えたと思います。

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誰にでも、それぞれ抱えている悩みや苦しみ、悲しみがあると思います。そして、それらの思いから解放される人と、そうではない人がいます。これは他人にはどうしようもないことなのかもしれないと、最近感じるのです。どんなに周囲が努力しても、こればかりは本人に「心の灯」がともらなければ仕方がないことなのかもしれないと。

弟が亡くなったとき、住職さまが「いかに亡くなったのかではなく、いかに生きられたのかを思い出してあげてください」と仰いました。これは私にとって非常に救われた気持ちにさせられました。また、数年前の法事のときには「この世は無情なものです」と、東日本大震災や実家のご先祖さまのことを例にお話しされました。これは広い意味で共感し、そう思うことで、これまでとは違う物事の捉え方ができるようになったと思います。

幸いなことに、家族をはじめ多くの人たちから応援してもらっていることを理解できている私は、まだ幸せなのだと思います。ですが、その支えに気が付く気力もないまま、自ら命を絶ってしまう人が後を絶ちません。だからと言って、この人たちを誰かと比較し、非難すべきではないと思うのです。それぞれが、みな「精一杯生きた」それで良いのでは?そう思いたいのです。

今日はとてもとても悲しい日です。だからこそ、大切な人と会話して欲しいなと思います。いなくなってからでは、もう伝えてもらうことも伝えることもできませんから。


posted by きくりん at 19:06 | Comment(4) | 東日本大震災のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月08日

働く婦人の家主催「秋の寄せ植え体験講座」

こんにちは、きくりんです。

今日は、大船渡市働く婦人の家主催の
「秋の寄せ植え体験講座」でした。

今回のテーマは「メルヘンな寄せ植え」とゆーことで

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ま、気持ちメルヘンチックな寄せ植えです。
いちおー、小人も隠れています。

予定受講者数16名に対し、今回も2名オーバーの18名。
(ご不幸が出来て急きょ不参加の方もいましたが)
おかげ様で大盛況のまま終わることが出来ました。

嬉しかったのは、前回の夏の寄せ植え講座の参加者さんが
今回も参加されていたこと!いやー、ホント嬉しいですーー

もちろん、寄せ植え初心者というかたもいらっしゃいましたが
皆さんとても楽しそうに作業されていたのが印象に残りました。
募集開始から、数日で予定人数を超えたと伺い、さらに感動・・・

みなさん本当にお花が大好きなんですね。素敵です。


回を重ねるたびに思うのですが
なんて言うか・・使用する鉢(プランター)や花苗が
あまにりも面白味がなくて、個人的には「どうなのよ」って思うのです。

まぁ予算的な事もあるので、ですが。

本当はね、もっとこ洒落た器にね
こ珍しい花苗をね、ほんの数個だけ寄せ植えしただけでも
それでも大船渡の人たちは喜ぶと思うんです。

と、自分では思っているのです。


そんな訳でですね、次回また講師として呼ばれることになったら
どうせならもうちょっと、遊んでみたいなーっと考えています。
考えているってだけで、実際にそうするかどうかは
その時になってみないとわかんないけど・・(^_^;)

だって、みなさん本当に楽しそうにされてて
何より自分が一番楽しかったかも〜

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ほーら、笑顔かどうか確認しようがない画像処理をしていますが
みなさん笑顔ですからー

いつもお世話になっている体育協会のY田さん
本当にありがとうございますーー
おかげで、きくりん頑張れますよーーー



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posted by きくりん at 17:43 | Comment(0) | ガーデニング日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする